のれんの成り立ち

  • 禅宗とともに中国からもたらされた暖簾

    日本では古くから萱(カヤ)や葦(アシ)、稲藁や竹などを編んだり織ったりしたものが、戸外からの寒さや雨風除け、また日除けとして家の入り口に遮断具として用いられており、これは帳(トバリ)や帷子(カタビラ)などと呼ばれていた。
    障子もなく、ましてガラス戸もなかった平安時代には、外からの視線を遮り、同時に部屋の中にほどよい光りを摂り入れるものとして活用されていた。
    暖簾という言葉が使われるようになるのは鎌倉時代末期。
    これは禅宗とともに中国からもたらされた禅林用語で、禅堂の入り口に夏期にかける簾に冬場の寒さを防ぐために綿布を重ねたものであったが、出入口にかけられる暖簾状の布は、この時代を境に暖簾として親しまれ、当時は”ノウレン”や”ナンレン”と呼ばれていた。

  • 暖簾の発達は江戸期の町人たちの盛んな意気を示す旗印

    暖簾は外暖簾と内暖簾に分けられ、外暖簾は店暖簾友いわれるが、この表口にかけられる布の暖簾に、様々な商家の屋号や商標、家紋が染められるようになるのは室町時代から。
    更に江戸時代初期にはそうした風潮が一般に広まり、暖簾は単に日除けなどの実用的な面だけでなく、商家にとっては、屋号や取扱商品名を知らせるための宣伝・広告媒体として、なくてはならないものとなっていく、いわば布でできた看板であった。
    この店暖簾は、縦に何条かの布を縫い繋げ下方を縫い外したものであるが、その形状は幾つかに分けられる。
    戸口の上から下までの長暖簾、半分までの半暖簾、横に幾枚も縫いつないだ水引暖簾などで、現在でもそれはほとんど変わっていない。
    素材は木綿や麻が主で、色は紺、白、茶に浅葱色など濃い色が使われたが、特に紺を彩る藍には魔除け、虫よけの意味もあり、それに濃い色は泥や汚れを目立たせないとして好まれたという。

  • 優雅で華やかな表情をもつ内暖簾

    家の内部にかける内暖簾は、床暖簾、部屋暖簾、座敷暖簾ともいわれ、江戸時代には目隠しや間仕切りとして寝室や納戸などの入り口に用いられた。
    これは古代の帳台にかけた帳のなごりであり、貴族住宅の系統を引いている。
    このため絹地で友禅染めなどの華やかな模様が染め付けられているものが多い。
    こうした内暖簾の使用は、地方によっては風習として今も残っており、嫁暖簾として嫁入りには豪華な染め付けの暖簾を持参し、婚礼や祭りの日には夫婦の寝室にかけられるという。
    また内暖簾は、歌舞伎など芝居の世界でも町家と同じように用いられ、舞台奥に切られた出入り口に暖簾がかけられるため、これを暖簾口と呼ぶ。
    現代では家の造りも変わり、内暖簾もかつてほどは使われなくなったが、それでも室内装飾を兼ねた間仕切りとして内暖簾の愛好者は多い。

  • 暖簾の広まりの中で深まるその意味合い

    庶民の暮らしに浸透し、一つの文化を作りあげてきた暖簾。
    暖簾が広く普及するにあたり、そのもつ意味合いも次第に大きくなっていく。
    暖簾が古い、といえば歴史のある老舗のことを表し、暖簾に傷がつく、といえば信用が損なわれること。
    また長年勤めあげた奉公人に対して屋号や営業権を一部譲渡する暖簾分け、更には暖簾を守る、暖簾を誇る、などといった言葉も聞かれる。
    このように暖簾には営業権や信用をはっきりと示す意味合いが含まれ、そして商家そのものを表す象徴的なものとして承認の拠り所となっていったのである。
    そして現在もなお、暖簾という言葉がもつ意味合いは極めて大きい。